(五)万葉集ではセックスはどのように表現されているか?
橋本治さんが「タブーのない日本史」という本を書いている【一】。
橋本さんは、「桃尻娘」という小説でデビューし、一躍、脚光を浴びた人である。日本の古典文学に関する評論も多数書いている。「桃尻娘」は竹田かほりさん(甲斐よしひろさんの奥さん)主演の日活ロマンポルノだ。若い頃、場末の映画館で観た覚えがある。なぜかタイトルにPink Hip Girlとルビがうってあって、音楽もPink Hip Girlとやかましく、どうしてなのかと不思議に思っていたが、この本を読むと、それが日活の意向だったことが分かる。橋本さんは、読売新聞に尾崎紅葉の「金色夜叉」を下敷きにした「金色夜会」という小説を連載されていて、まだまだお元気だと思っていたが、惜しくも平成時代の最後の年の一月に亡くなった。ご冥福をお祈りしたい。
さて、その橋本治さんが、前掲の本の中で日本語には「FUCK」に対応する動詞がないとした後で、次の様に述べている。
なぜその動詞がないのかというと、 日本には「その行為」だけを特別にピックアップする習慣がなかったからです。日本では、その行為が「逢う」ということに含まれていて、逢ったらもうやっちゃっているわけで、「その行為の部分」だけを特別視する必要がないのです。
万葉集の中からいくつかの歌が例として紹介されているので見てみよう。
最初の歌。
三三五三 第十四巻東歌、相聞歌
麁玉の寸戸の林に汝を立てて
行きかつましじ寝を先立たね
「麁玉の寸戸」というのは遠江の地名で、「ましじ」は「絶対にしないぞ」の意味、「寝を先立たね」は「まず寝よう」の意味だそうだ。橋本さんの現代訳は
麁玉の寸戸の林にあなたを立たせて行き過ぎることなんか出来ないぞ、まず寝よう
となる。「行く」は橋本さん訳では「通り過ぎる」だが、「出発する」ともとれる。僕なりに訳してみると、こんな具合。
きべの林に君を立たせたままで旅立つなんてできないよ。出発は君とセックスしてからにするよ
チューリップの「心の旅」が頭に浮かんだ。
「アア、だから今夜だけは君を抱いていたい、アア、明日の今頃は僕は汽車の中」というフレーズ。「抱く」=「寝る」=「セックス」と考えると、結局、やっていることは今も昔も変わらない。
二つ目の歌。
三三五四 第十四巻東歌、相聞歌
寸戸人のまだら衾に綿さはだ
入りなましもの妹が小床に
橋本さん訳は
きべの人のまだら色の布団には綿がいっぱい。そのたっぷりの綿のように入りたいあなたの寝床に。あなたの体を覆って愛撫したい
万葉時代から平安時代まで日本は「妻問婚・通い婚」で、男が女のところに通った。橋本さんはつぎのように書いている。
「逢う」や「見る」は、そのまま「性交渉をする」「性的関係を結ぶ」です。逢ったらやっちゃうし、やらなくても「逢う」になったら「やってもいい」です
つまり、家の中、あるいは御簾の中に入って逢うことは、すなわちセックスする許可を与えることと同義となるという。「逢う」、「見る」、「寝る」、「小床」、これらはみんなセックスするという意味である。
面白いので、このことを頭において、次回、もう少し万葉集の歌を研究してみよう。
参考文献
【一】 橋本治「性のタブーのない日本」 (集英社新書)