(十六)山田美妙「武蔵野」

まず最初に山田美妙の「武蔵野」を取り上げてみよう。

山田美妙という作家をご存知だろうか? 先の検索結果が物語る様に、彼はすっかり忘れさられた作家である。だが、山田美妙は二葉亭四迷と同時期に、言文一致の小説を発表した人気作家だった。二葉亭四迷より人気があったという。それにもかかわらず、すっかり忘れさられてしまったのはどうした訳か? 彼の代表作である「武蔵野」を読みながら、その理由を考察してみよう。

この作品は明治二〇年十一月から十二月にかけて読売新聞の付録に連載された。山田美妙は友人の尾崎紅葉らと、文学結社「硯友社」を作り、回覧形式の雑誌「我楽多文庫」を発刊し、すでにいくつかの作品を発表していた。「武蔵野」は言文一致体の新聞小説としては最初のものである。これが評判を呼び、山田美妙は一躍人気者になった。このとき、彼は若干二十歳だった。

「武蔵野」は歴史小説である。新田義貞亡き後、足利尊氏率いる北朝方と義貞の子義興、義宗率いる南朝方とが戦った「武蔵野の合戦」が舞台である。

上中下の三部からなり、(上)では「武蔵野の戦い」にはせ参じる新田方の二人の武士が登場する。だが、武蔵野の戦場に着いた時にはすでに合戦は終わった後で、彼らは武蔵野の原野に残された多数の屍を発見する。その部分の描写を少し引用してみよう。

 このようなところにも世の乱れとてぜひもなく、このころいくさがあッたと見え、そこここには腐れた、見るも情ない死骸しがいが数多く散ッているが、戦国の常習ならい、それを葬ッてやる和尚おしょうもなく、ただところどころにばかり、退陣の時にでも積まれたかと見える死骸のつかが出来ていて、それにはわずかに草や土やまたはやぶれて血だらけになッている陣幕などが掛かッている。そのほかはすべて雨ざらしで鳥や獣に食われるのだろう、手や足がちぎれていたり、また記標しるしに取られたか、首さえもないのが多い。本当にこれらの人々にもなつかしい親もあろう、可愛らしい妻子もあろう、親しい交わりの友もあろう、身を任せた主君もあろう、それであッてこのありさま,やいばくしにつんざかれ、矢玉の雨に砕かれて異域の鬼となッてしまッた口惜くちおしさはどれほどだろうか。

いかがだろうか? 不思議と違和感なく頭に入ってくる。「武蔵野」の地の文はこのような「……だ」調の口語体で書かれている。不思議な文体である。会話文は逆に「……おじゃる」といった昔風のことばになっているのだ。例えばこんな調子だ。

「見なされ。これは足利の定紋じゃ。はて心地よいわ」と言われて若いのもうなずいて、
「そうじゃ。むごいありさまでおじゃるわ。あの先年の大合戦の跡でおじゃろうが、跡を取り収める人もなくて……」

 作者によれば、これは歴史物なので慶長と足利時代の言葉を交ぜたものになっているとのこと。さらに奇異に感じるのは次の様なところだ。例えば、冒頭の文の対句。

ああ今の東京とうけい、昔の武蔵野むさしの。今はきりも立てられぬほどのにぎわしさ、昔は関も立てられぬほどの広さ。今なかちょう遊客うかれおにらみつけられるからすも昔は海辺うみばた四五町の漁師町でわずかに活計くらしを立てていた。

 さらに(下)の冒頭部分のとてつもない擬人法。

夜は根城を明け渡した。竹藪たけやぶに伏勢を張ッている村雀むらすずめはあらたに軍議を開き初め、ねや隙間すきまからり込んで来る暁の光は次第にあたりの闇を追い退け、遠山の角にはあかねの幕がわたり、遠近おちこち渓間たにまからは朝雲の狼煙のろしが立ち昇る。

 これらは、今読むと強い違和感を引き起こす。全体の調子はまるで講談でも聞いているようだ。

さて、話の筋に戻ろう。二人の武士が敵の兵に取り囲まれてしまったところで、(上)が終わり、(中)では場面が変わって、母と娘の会話が始まる。そして、先ほどの二人の武士がこの娘の父親と夫であることが明らかされる。娘は夫と父の安否が心配になり、薙刀の腕に自信があることも手伝って、母に内緒で二人を探そうと家を出る。(下)では、一人の武士が母娘のもとを訪ねてくるが、これは二人が武蔵野で戦死した知らせであった。一方、家を出た娘は山で熊に襲われて亡くなっていた、とこんな筋である。

(上)は話の展開に期待を持たせるが、(中)(下)はその期待を裏切って、もうひとつ盛り上がらない。つまり、「文体」は新しいが「内容」がない話なのだ。

結局、山田美妙ははじめは目新しい文体でハイカラ好みの読者にもてはやされたが、内容がないのですぐに飽きられてしまったというところだろうか? 「奇をてらうばかりで、中身がないと長続きしない」これは現代にも有効な教訓である。

 

  • 筆者
    office-labyrinth
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