(七)万葉集にハルを探す②

万葉集から春の歌をピックアップして、「ハル」があるかを調べ始めた。
まず巻十四の東歌である。この巻は東国の謡曲を中心に拾ったもので、庶民の性に対する気持ちがストレートに表現されている。ところが、なんと「春」が含まれる歌は二首しかなかった。

三五〇四
春へ咲く藤の末葉うらば心安うらやす
さ寝る夜そ無き、子ろをし思へば
【訳】春に咲く藤のうらばのように、安らかに眠れる夜はない。君の事で胸が一杯だから。
ここでいう「子」はカノジョのこと。春から藤を連想し、「うらば」と「うらやす」をシャレている。

三五三二
春の野に草む駒の口やまず
を偲ふらむ家の子ろはも
【訳】春の野原、馬が草を食べている。ずっと口を動かしているが、同じ様に、家では妻が僕を話題にずっと口を動かしているのだろう。

残念ながら二首とも四季の春で、「ハル」とは関係がない。つぎに巻四の相聞歌を調べてみよう。

五一八
春日野の山辺の道を随身よそり無く
通ひし君が見えぬ頃かも
【訳】春日野の山辺の道をたった一人で通ってくるあなた、最近はずっとご無沙汰ね。
石川郎女の歌。これは「通い婚」の歌だ。最近は来てくれないと女がボヤいている。

五二九
佐保川の岸の高処つかさの柴な刈りそね在りつつも

春し来たらば立ち隠るがね
【訳】佐保川の岸の高くなっているところ。芝を刈らないでね。春が来たら、あそこに隠れてセックスするんだから。
大伴坂上郎女の歌。セックスまでは書いていないが、当然そうなる。

五八四
春日山朝立つ雲の居ぬ日なく
見まくの欲しき君にもあるかも
【訳】春日山に朝雲が立っていない日が無いように、毎日あなたとセックスしていたい。
「見る」=セックスする、ということで、こうなる。

六七七
春日山朝居る雲のおほほしく
知らぬ人にも恋ふるものかも
【訳】春日山に朝かかる雲ははっきりしない。そんなはっきりしないあなたともセックスできるんだわ。

六九八
春日野に朝居る雲のしくしくに
は恋ひ増さる月に日に
【訳】春日野には朝になると雲がつぎつぎと生まれてくるんだけど、それと同じように、私の中でセックスしたいという思いが日に日に増してくるの。

七三五
春日山霞たな引き心ぐく
照れる月夜に独りかも寝む
【訳】春日山に霞がたなびいている。こんな明るくせつない夜なのに、あなたは来ない。どうして、独りで寝なきゃいけないの。
「心ぐく」はせつなくて苦しいという「心ぐし」の形容詞。

七八六
春の雨はいやしき降るに梅の花
いまだ咲かなくいと若みかも
【訳】春の雨がしきりに降っている。まだ梅の花が咲かないが、かなり若いせいだろうか?
これは大伴家持が藤原久須麻呂に送った歌。藤原久須麻呂から大伴家持に、家持の娘を久須麻呂の息子の嫁に欲しいとも申し出ある。「梅」は娘のこと。「娘はまだ若い」という意味を含めているのだろう。

七八九
心ぐく思ほゆるかも春霞
たな引く時に言の通へば
【訳】せつなく思われるのかなあ、春霞がたなびくこんな時期にあなたからの便りがあったから。
これも大伴家持が藤原久須麻呂に送った歌。藤原久須麻呂からの催促の手紙に心を乱されている。

七九〇
春風の音にし出なば在りさりて
今ならずとも君がまにまに
【訳】春風が音立てて吹いている。このままにしておこう、今でなくてもよいではないか、ゆくゆくはあなたの思い通りにしよう。
先の歌に続く歌。縁談話を断ろうという意思表示。

七九二
春雨を待つとにしあらし我が屋戸の
若木の梅もいまだ含《ふふ》めり
【訳】春雨を待っているわが家の若い梅の木も、まだ十分に成長していないのです。

これで巻四の相聞歌が終わりであ。結局「ハル」は見つけられなかった。

  • 筆者
    office-labyrinth
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