アレクサンドロス戦記(三八)第二章①
第二章 アレクサンドロス海を渡る
(一) ソロンの手記
コリントス同盟軍が東征を開始した。すでに春とはいえ、トラキアの山々にはまだ雪が残っている。海沿いの道を、延々と行軍が続く様は圧巻である。
私、ソロンは「王の伝記作家」であるカリステネスの助手として、遠征隊に参加した。私はこれから、マケドニア王アレクサンドロスと彼の率いるマケドニア軍がアジアで成し遂げるだろう輝かしい勝利の記録を書き残していく。ただし、カリステネスが東征の正史を書くのに対し、私が書くのは、あくまでも「参考」にしかならないのであるが、それでも私は休み無く書き続けていくつもりである。修辞はカリステネスに任せて、私はできる限り真実を語ろうと思う。ありのままに描くことこそ私の使命なのだ。
さて私が東征軍に参加するようになったいきさつを、まず、書き留めておきたい。
私は、アテナイにある学園「リュケイオン」の学長であるアリストテレスに、東征軍に参加できるように口添えを頼んだ。アリストテレスはマケドニア王アレクサンドロスの家庭教師だった男で、今もなお王宮に大きな影響力を持っていた。アリストテレスは快くマケドニアの宰相アンティパトロスへの手紙を書いてくれた。
私はそれを持って、王都ペラで彼に会った。アリストテレスからの手紙を渡すと、それに眼を通し、しばらく不思議そうな顔をしていたが、私の下半身に眼を落として、ニヤニヤ笑っている。
「カリステネス君もすみにおけないね。貴方は身元もしっかりしているようだが……どれどれ、こちらの方は?」
突然、彼はそう言うと、私の太股に手を伸ばした。身体を離そうとしたが、すでに遅かった。六十の老人のくせに、驚くほど動きが速く、私は太股をしっかりと掴まれてしまった。
「ほほう……なかなか肉がのったいい太腿だ。これなら離れられないのは当たりまえだな……わかった。遠征隊に推挙しておきましょう。ただ、あまり度が過ぎるのはよくないですぞ……」
彼はなにやら訳の分からない事を言った。遠征に随行することは許されたのだが、いったいどうなっているのか不審に思い、アンティパトロスから手紙を受け取るや、中を読んで思わず赤面した。このような文章が書いてあったのだ。
『親愛なるアンティパトロスへ
この手紙を持参するソロン君は甥のカリステネスの愛人で、とくにその脂ののった太股を使ったテクニックは抜群なのである。カリステネスは自分からソロン君の同行を言い出せず、私に頼んできた。ソロン君は元デルフォイの神官をしていて、身元は確か。カリステネスの側において、王の伝記作りの補助をさせたいのだが、お取りなしのほどをよろしくお願いしたい。
リュケイオンにて 友アリストテレス』
アリストテレスの計略は見事に成功した。だが、私はなんと、カリステネスの愛人ということになってしまった。あの男、なんとも食えない男である。
その後、カリステネスのところに挨拶に行くと、好色そうな眼で私の全身を舐めつけるように見つめ、
「叔父が送り込んだのは君か……あまり、好みではないが……。君は文章を書くのか?」
と訊いた。
私が、「ええ、カリステネス殿を補佐せよとの命令を受けております」と答えると、苦虫を噛みつぶしたような顔になって、
「一つだけ言っておきますがね。私は陛下の信頼が厚いのですよ。私の言葉ひとつで陛下は神になるのですからね。いいですか、勝手なことはしない……約束ですよ、私のもとで、陛下を讃える文章の書き方を十分学ぶのですね」
と言った。きっと、私をアリストテレスが送り込んだスパイとでも思ったのだろう。実際のところ、その通りなのだが……。