アレクサンドロス戦記(五二)第二章⑮

二百人分のパンを焼き上げ、ようやく休憩になった。各自のカップに水が注がれ、ニコはそれを持って石の上に足を投げ出して座った。一緒に焼き番をしている男が隣に座る。男はカレスとい名乗った。相当いい年なのだろう、髭の端が白くなっている。
「坊主、大分慣れたか?」
「ああ、でもこれじゃあ、奴隷と変わんないよ」
ニコは悲鳴をあげた。
「そうさなあ……ここには奴隷がいねえから、その分を自分たちで働かなきゃなんねえだ」
「それにしてもパン焼きもたいへんだ。作ったパンはどうなるのさ」
「これは今晩の宴会用だ。ほら、アレクサンドロス様が帰ってきたろう。明日からまた、行軍が続くので今夜のうちに兵たちの労をねぎらうのだそうだ。その代わりに、俺たちが大わらわというわけだ」
「戦いはいつ始まるんだ?」
「分からねえが、そんなに先じゃねえぞ。知っているか、ラクリスの野郎がこぼしてやがったが、食料が足りねえんだ」
ニコは意外だった。これから戦をするというのにどういうことだろう思った。
「たくさんあるんじゃないのか?」
カレスは首を横に振った。
「なにせ、この人数だろう。すぐに食べ尽くしてしまうのさ。畑の作物はこれから収穫だから、今は備蓄分を食べている。だから限りがあるのさ……」
「でも、食べものが無くなったらどうするの?」
「そりゃあ戦をするに決まっとるだろう。町を襲って、食料を奪うんだ。そこを食い尽くしたら次に移る……」
なんともあきれた話だと思った。それでは盗賊と変わりない。
ふと、行軍の最後尾にいた男の顔が浮かんだ。浅黒い肌をした彫りの深い顔立ちのフェニキア人の従軍商人だ。たしか、アザルという名前であった。
「商人が一緒にいるじゃあないか?あいつが食料の手配をしているんじゃあないのか?」
アザルはこの野営地に着いてからも、各部隊を足繁く回っている。
「そうだ。マケドニア軍は商人に金を払って食料を調達している。途中の港で食料が供給されただろう。あれはアザルの手配だ。あの男が扱っているのは食料だけではない。アザルは便利屋だ。いろいろな品物を売り買いしている。あの男は御用聞きで、彼の裏でフェニキア人のシンジケートが働いているのさ。軍は必要な品物をアザルに手配させる。その一方で、戦利品をアザルに売るんだ。仲間にするには都合のいい男だが……甘く見ちゃあいけねえぞ、危険な男だからな」
ニコは不思議に思って聞いた。
「何が危険なのさ」
「アザルは奴隷の売買も扱っているのさ。海賊とも繋がっていて、おめえのような可愛い子供はさらわれて売り飛ばされるかもしれねえ」
カレスは真剣な顔で言った。
「いいかアザルの商売相手は俺たちだけではない。あいつらは金になればなんだっていいんだ。ペルシアの宮廷にだって客がいる。子供が人さらいにあって売られた話はよく聞く。ほれ、ここをちょん切り取られてハーレムの召し使いにされるんだぜ」
カレスはニコの陰嚢を指さして、いやらしい笑みを浮かべると大声で笑った。

  • 筆者
    office-labyrinth
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