アレクサンドロス戦記(四二)第二章⑤

アレクサンドロスと王の護衛隊は、スカマンドロス河沿いをさらに奥に進んでいく。
「さびれたところだな……」
並んで歩いていたヘファイスティオンがアレクサンドロスに言った。
かつて港には何隻もの軍船が浮かび、金髪の絶世の美女ヘレネを取り戻すためにアカイア人たちがこの地に乗り込んできた。イリオン城に立てこもるトロイアのプリアモス王、その長男のヘクトル、そしてヘレナの夫であるアレクサンドロス(パリス)、それを取り巻くギリシャ勢は、総大将アガメムノン、妻ヘレネを奪われた弟メラネオス、知将オデュセイア、それに闘将アキレスとその友パトクロスの面々。彼らは壮絶に戦い、死してこの地に骨を埋めた。その「聖なるイリオン」は、今はもう見る影もない。
「もともと、イリオンは海岸すぐの処にあったのですが……河が土砂を運んで海岸線が後退してしまったのです」
案内人が申し分けなさそうに言う。
「歳月というものは、なんと怖しいものだ……」
アレクサンドロスは周囲の荒涼とした光景を見回し、噛みしめるように言った。
「あの当たりの丘にイリオン城があったと思われます」
案内人が何の変哲も無い丘を指さした。
「やっ、あそこに神殿があるぞ」
ヘファイスティオンが声を上げた。神殿の柱が見え、その周囲には民家らしきものも立っている。
「あれがイリオンの村です。陛下の来訪はすでに村の者に伝えてあります」
案内人の言葉に、一行は神殿を目指して草原の中を進んだ。
村に近づくと、村長と主だった住民たちがアレクサンドロスを迎えた。
「これは、これは、陛下、ようこそイリオンにお越し下さいました。何もないところで、これといったおもてなしはできませんが……」
「もてなしなどどうでもよい、ところであの神殿はなんだ?」
アレクサンドロスは薄汚れて、いくつか壊れたところも見受けられる神殿を指差した。
「アテナ・イリアスを祭る神殿です」
「昔からのものか?」
「ええ、一応は昔からのものですが、かなり傷んでいます。ペルシアの支配下になってからは、訪れるものもほとんどなく、修理が追いつきません。ご覧になられますか? 中には合戦時代のものと言い伝えられている品も二、三あります」
「後で見せてもらおう。古の勇者たちの墓はどうなっている?」
「昔のものは朽ち果ててしまってどこにあるのか不明です。神殿の神官が設けたプリアモス王などの簡単な塚が丘の上にあります」
「アキレスとパトクロスの墓はあるか?」
「はい。確かあったように記憶しておりますが……」
「よし、まずそこに詣でよう。ヘファイスティオン、一緒に来てくれ」
アレクサンドロスとヘファイスティオンは連れだってイリオンの丘を上り始めた。プトレマイオスとカリステネスがそれに続く。
丘の上から、今、歩いて来た道が見えた。スカマンドロス河が蛇のようにうねり、その先に海が見える。冷たい風がアレクサンドロスの金髪をなびかせている。土を盛って石版を載せただけの小さな墓がいくつか作られていた。トロイ側とギリシャ側が向かい合うように並んでいる。
「陛下、ここにアキレスの墓がありますぞ」
石版を改めていたプトレマイオスが声をあげた。小さな墓だった。手入れがよくないので、もうすぐ朽ち果ててしまいそうである。草に囲まれたパトクロスの墓も見つかった。
「ヘファイスティオン、服を脱ぐのだ」
「ああ」
二人は墓の前で素っ裸になり、従者が身体に香油を擦り込んだ。アレサンドロスはアキレスの墓に、ヘファイスティオンはパトクロスの墓に花を献じ、その周りを二人は勇者を讃える歌を歌いながら踊った。そして、カリステネスがその様子をすべて記録した。

  • 筆者
    office-labyrinth
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