第五話 武者紫⑭

2021年01月30日

高瀬課長の相手はいったい誰だったんだろう?
結局、女は一言もしゃべらなかったから、誰か分からない。
おっと、考えるのは後だ。ここから早くここから脱出しなきゃならない。私は急いで服を着て、小走りでドアに向かう。
おや、香水の臭いがする。
嗅いだことがある臭い。でも、それを突き止めるのは後だ。ともかくここを出よう!
ドアノブを握る。
カギが掛かっていませんように!
ノブが回る。助かった!
課長はカギを掛けて行かなかったのだ。
頭を突き出して、廊下の様子をうかがう。
誰もいない。さあ、脱出だ!

小走りに廊下を急ぐ。角を曲がったところでバッタリ高瀬課長と出会う。手にカギを持っている。カギを掛けに戻るところだったのだ。
危なかった。ちょっと遅れたらあの部屋に閉じ込められてしまうところだった。
私は軽くお辞儀をして、課長の横をすり抜ける。
後ろを振り返ってみたい誘惑にかられた。
でも、絶対に振り向いちゃいけないぞと自分にいい聞かせ、私はずんずんと歩いて行く。
大丈夫だ。声が掛からない。
私は大丈夫。

「岩室さん、どこへ行ってたの」
後ろから声がかかった。
全身が凍り付いた。
振り返ると営業の鈴木さんが笑っていた。
「トイレ」
鈴木さんはニヤニヤ笑っている。嫌な笑い。
「不思議だな。トイレの方向とは逆だよ。おお、コワイ、そんな顔して睨まないでよ」
「睨んでなんかいません。ちょっと用事があったんです」
「重役から呼ばれたの?」
「えっ、あ、まあ」
「そう、なんか変だなあ」
「すみません、今、急いでいるので」
「あ、そう。分かった。続きは今度ゆっくり聞くね。二人だけで話そうね」
「はい、じゃあ失礼します」
私は鈴木さんを振り払った。
でも、今の返事。あれじゃ二人きりで会うことを承諾したようなもんじゃないか!
ああ、あんな奴に口実を与えてしまった。当分、つきまとわれることになる。

部屋に入ると今度は里美が待ってましたとばかりに、つきまとってくる。
「玲子さん、遅かったですね。トイレじゃなかったんですか?」
すぐに帰るはずが、高瀬課長の性行為に付き合わされたので、長くなってしまったのだ。
「ええ、その後、ちょっと用事があったので」
「へえ、そうですか? 用事ですか、ちょっとスカートが捩れていますよ」
ああ、やってしまった! なんてこと、これで私も昼休みにオフィスラブを楽しむ女子社員で、どんな恰好でお股を開いているかなんて噂されることになる。
あれっ、この臭い。あの時の香水って、ひょっとすると里美?
もしかして里美は自分の情事を隠すために、いろんな人のあらぬ噂を立てまくっていたりして。
あっ、高瀬課長が戻ってきた。こちらを見ている。じっと見ている。里美も高瀬課長に気づいた。
「実はね。私、役員会議室にいたのよ。あの会議室ってどんなのか興味があって、中に入ってみたの」と私は里美に向かっていった。どんな反応をするか楽しみだ。
「や、役員会議室にですか?」

 いいぞ、びっくりしている。いい気味だ。
「そう、そしたら、誰か入ってきたの。私はテーブルの下に隠れたわ。そしたら、二人は――」
「ご、ごめんなさい。ちょっと課長が呼んでいるので」
里美は慌てて高瀬課長のもとへ飛んでいく。
なにやら二人で話しているぞ。きっと私の事だ。これで私は安全だ。二人の弱いところを握っているんだから。
私は机に戻ると、ニヤニヤしながら、さっき役員会議室で撮影した全裸の全身写真と局部のクローズアップをあの人に送信した。

  • 筆者
    office-labyrinth
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