(十二)家持 部下をしかる②
前回は万葉集の巻十八にある「大伴家持が部下を叱る」という歌を紹介した。単なる紹介に留まったが、今回はその意味を考えてみよう。
まず、前文のところである。
「七出」「三不去」「両妻」とあるが、これは何だろうか?
「七出」とは一つでも当てはまれば妻を離縁できる条件で、儒教でいうところの「七去」であり、広辞苑によれば、「父母(舅姑)に順でないこと、子のないこと、多言なこと、窃盗すること、淫乱なこと、嫉妬すること、悪疾のあること」の七つである。
また、「三不去」は妻を離別してはならないとされた三つの場合で、「帰る実家のない場合、舅姑の三年の喪を果たした場合、夫が貧賤の時嫁して今は富貴になった場合」があげられる。
「七出」に当てはまらないのに妻を離縁した場合には、一年半の徒刑(懲役)、「三不去」に違反した場合には、杖打ち百回の厳しい罰則がある。さらに、「両妻」とは重婚の事で、これを破れば男は一年の懲役、女の方は杖打ち百回と書かれている。
つぎの四一〇六の終わりの方に、遊行婦女の「佐夫流(サブル)」が出てくる。「佐夫流」の前に、「浮ぶ水沫の寄る辺無み」と説明がある。つまり、浮んでいる泡沫のように寄る辺がない存在が佐夫流である。山口大学の吉村先生によれば、ここにには「定住しない浮浪民としての軽蔑の意味が入っている」という。
さらに、「紐の緒の いつがり合ひて」は「紐のように固くつながって」、「にほ鳥の 二人並び居」は「にほ鳥のように二人でべたべたして」、「奈呉の海の 奥を深めて」は「奈呉の海のように将来を深く思っていて」の意味であり、尾張少咋と佐夫流との関係が、「仮の浮気ではない本気の恋愛であることを強調している内容になっている」とのこと。
つまり、「七去」「三不去」「両妻」の規則があるのにそれを守らず、なぜ佐夫流なんかと関係を持っているのかと非難しているのである。
反歌の一首目は「奈良の都では奥さんがいまいまかと待っているのに、君にはその心がわからないのか」、二首目は「里の人の見る目も恥ずかしい。サブル娘に懸想しているあなたが、女の家から出勤する後ろ姿は」、最後は「紅は美しいが色あせていくものである。慣れた橡の着物に及ぼうか」というもの。
これは変ではないだろうか。これまで見てきたことと、大きく食い違っているのだ。
もともと、この時代の婚姻は一夫多妻制のはず(ただし、ハーレム婚ではなく、男が妻のところに通う「妻問い婚」)。だから、男は多数の女のところに通い、女は男が来るのを待っているはずだ。それなのに、重婚が駄目とはなんということだろう!
この歌の詠まれたのは天平感宝元(七四九年)。大宝元年(七〇一年)に中国の律令を輸入して大宝律令が施行されている。大宝律令の原文は現存しておらず、この七出・三不去・両妻があったかは明らかではないが、この規則は七五七年(天平勝宝九歳)の養老令にあることから、おそらく似たような文言が大宝律令にもあったとするのが自然である。
また、天平十六年(七四四年)には「類従三代格」の勅「勅すらく、此季、国司多く所部の女子を娶りて妻妾と為す。自今以後、悉く皆禁断せしめよ。国隔越すと雖も輙ち娶ること得ず」というお達しが出ている。つまり、ちっとも規則が守られていないので守るようにというのだ。
吉村先生の論文では、伊藤博先生の「萬葉集釋注九(一九九八年五月)」の「少咋のような事件は、当時よくあったことで、大まかに見られていたらしい。だが、禁令は各国の国守のもとでは生きており、越中国守家持も、この禁令のもとに一群を詠んだものと覚しい。」を引用されておられる。
律令国家の確立を急いで、当時、さまざまな文化が中国から輸入された。律令も作られたのだが、それはあくまでも中国からの借り物であり、儒教思想の強い中国の律令をすぐに日本に当てはめようとしても無理があり、ちっとも守られていないのが実情だった。
高橋めぐみ先生も「中国法継受の律令体制下では結婚制度が資料としては存在したが、中国には『不以礼交』を姦とする伝統的な礼の観念がある。結婚の礼によらない男女関係の情交は一切認められていなかったが、これは、律令の法文通りに実行されない規定の代表的なものである。律令規定は、家族生活を中国風に規制する傾向にあったため、我が国の生活に馴染まずに伝統民俗に押しのけられてしまい、実態とのずれは大きい。」と書いている。
だが、大伴家持は役人であり、律令を守らせるのが仕事なのだ。お達しも出ているところ。自分の部下が規則を破るとはなんたることと怒り心頭。そこでこのような歌を作ったのだ。
いずれにしても、この時代のセックスは大ぴらで、タブー視されていない。だから、「春」にもまだ性的なニュアンスは込められていないというのが実際のところではないだろうか。
さて、万葉集にハルを探す旅はこれで一段落。今後もこの旅は続ける予定であるが、ちょっと一服して別なテーマの研究に移っていこう。
参考資料
【一】吉村誠「大伴家持『教喩史生尾張少咋歌』の構想」The Conceptional of “Manyou-shuu” Vol.20 No 4106-4109
【二】高嶋めぐみ「妻問婚にみる求愛求婚行為再考」苫小牧駒澤大学紀要 第十号(二〇〇三)