(二〇)幸田露伴「風流仏」②

 幸田露伴「風流仏」の後半である。

 珠運はげっそりとやつれて何も手につかない。こんな珠運をなんとか元へ戻そうと、宿の主人は彼に作品を作るようにそそのかす。ようやくその気になった珠運は前にお辰が住んでいた小屋にこもり、檜の古板にお辰の姿を彫り始めた。お辰の姿を思い描きながら彫っていくシーン。

珠運しゅうんは段々と平面板ひらいた彫浮ほりうかべるおたつの像、元よりたれに頼まれしにもあらねば細工料取らんとにもあらず、ただ恋しさに余りての業、一刀いっとうけずりてはしばら茫然ぼうぜんふさげば花漬はなづけめせと矯音きょうおんもらす口元の愛らしき工合ぐあい、オヽそれ/\と影をとらえてまたかたな、一トのみ突いては跡ずさりしてながめながら、幾日の恩愛たすけられたり扶けたり…(中略)…恍惚とする所へあらわるゝお辰の姿、眉付まゆつきなまめかしく生々いきいきとしてひとみ、何のじょうを含みてかわがあたえしくしにジッと見とれ居る美しさ、アヽ此処ここなりと幻像まぼろしを写してまた一鑿ひとのみようやく二十日を越えて最初の意匠誤らず、花漬売の時の襤褸つづれをもせねば子爵令嬢の錦をも着せず、梅桃桜菊色々の花綴衣はなつづりぎぬ麗しく引纏ひきまとわせたる全身像ほれた眼からは観音の化身けしんかとも見ればたれに遠慮なく後光輪ごこうまでつけて、天女のごとく見事に出来上り、われながら満足して眷々ほれぼれとながめくらせしが……

このようにして、珠運は花綴衣を着せたお辰の像を掘り終わる。すると、その夜の夢にお辰が現れて、二人はまるで夫婦のように睦言を交わし、じゃれ合うのである。珠運は現実と妄想の間を往き来し始めている。お辰に今度は何を着せようかと考えながら、珠運は刀を研ぐ。そして、お辰に着せた衣をひとつひとつ剥いでいくのだった。

腕を隠せし花一輪削り二輪削り、自己おのが意匠のかざりを捨て人の天真の美をあらわさんと勤めたる甲斐かいありて、なまじ着せたる花衣ぬがするだけ面白し。ついに肩のあたり頸筋くびすじのあたり、梅も桜もこの君の肉付にくづきの美しきをおおいて誇るべき程の美しさあるべきやとおとし切り落し、むっちりとして愛らしき乳首、これを隠す菊の花、香も無きくせ小癪こしゃくなりきと刀せわしく是も取って払い、可笑おかし珠運しゅうん自らたるわざをおたつあだたる事のように憎み今刻みいだ裸体はだかみも想像の一塊いっかいなるを実在まことの様に思えば愈々いよいよ昨日はおろかなり玉の上に泥絵具どろえのぐ彩りしと何が何やら独り後悔慚愧ざんきして、聖書の中へ山水天狗楽書やまみずてんぐらくがきしたる児童が日曜の朝字消護謨じけしゴムに気をあせるごとく、周章狼狽ろうばい一生懸命とうは手を離れず、手は刀を離さず、必死となっ夢我むが夢中、きらめくやいばは金剛石の燈下にまろぶ光きら/\截切たちきる音はそらかく矢羽やばねの風をる如く、一足退すさって配合つりあいただす時はことの糸断えて余韵よいんのある如く、こころ糾々きゅうきゅう昂々こうこうも幾年の学びたる力一杯鍛いたる腕一杯の経験修錬しゅれんうずまき起って沸々ふつふつと、今拳頭けんとうほとばしり、うむつかれも忘れ果て、心はさえさえ渡る不乱不動の精進波羅密しょうじんはらみつ、骨をも休めず筋をも緩めず、くや額に玉の汗、去りもあえざる不退転、耳に世界の音もなく、腹にうえをも補わず自然おのず不惜身命ふじゃくしんみょう大勇猛だいゆうみょうには無礙むげ無所畏むしょい切屑きりくず払う熱き息、吹き掛け吹込ふっこむ一念の誠を注ぐ眼の光り、すさまじきまで凝り詰むれば、ここ仮相けそう花衣はなごろも幻翳げんえい空華くうげ解脱げだつして深入じんにゅう無際むさい成就じょうじゅ一切いっさい荘厳しょうごん端麗あり難き実相美妙みみょう風流仏ふうりゅうぶつ仰ぎて珠運はよろ/\と幾足うしろへ後退あとずさり、ドッカとして飛散りし花をひねりつ微笑びしょうせるを、寸善尺魔すんぜんしゃくま三界さんがい猶如ゆうにょ火宅かたくや。

 長い引用となったが、お辰の裸体を想像しながら衣を削っていく珠連の様が鬼気迫る調子で描かれている。

この後、珠運は宿の主人から渡された新聞を読む。そこにはお辰が近々、侯爵と結婚すると書かれてあった。こんなお辰を女菩薩と思っていたなんてなんと愚かだったろうと、珠運は恨みに満ちた眼でお辰の像を睨む。お辰の像は「月のすめごとたたずむ気高さ」で立っている。そんな姿を見ていると自分が疑惑を持ったことが恥ずかしくなる。お辰があの宿の一室で二人で暮らしていた時のできことを語ったのを珠運は思い出す。しかし、それは本当にお辰が語ったことなのか、それとも珠運がそう妄想しているだけなのかについてはぼかされたまま、露伴は筆を進める。

 お辰への恨みと思慕の間を何回も往き来した末に、ついに珠運はお辰の像を打ち壊してしまおうと決心するのだが……

最早もはやすっきりと思い断ちて煩悩ぼんのう愛執あいしゅう一切すつべしと、胸には決定けつじょうしながら、なお一分いちぶんの未練残りて可愛かわゆければこそにらみつむる彫像、此時このとき雲収り、日はりて東窓の部屋のうちやゝ暗く、すべての物薄墨色になって、暮残りたるお辰白き肌浮出うきいずる如く、活々いきいきとした姿、おぼろ月夜にまことの人を見るように、呼ばゞ答もなすべきありさま、わが作りたる者なれどあくまでおぼきったる珠運ゾッと総身の毛もたち呼吸いきをも忘れ居たりしが、猛然として思いかえせば、こったるひとみキラリと動く機会はずみに面色たちまち変り、エイ這顔しゃっつらの美しさに迷う物かは、針ほども心に面白き所あらば命さえくれてやる珠運も、何の操なきおのれに未練残すべき、その生白なましらけたる素首そっくびみるけがらわしと身動きあらく後向うしろむきになれば、よゝと泣声して、それまでに疑われうとまれたる身の生甲斐いきがいなし、とてもの事方様かたさまの手におしからぬ命すてたしというは、正しく木像なり、あゝら怪しや、さては一念の恋をこらして、作りいだせしお辰の像に、我魂のいりたるか、よしや我身の妄執もうしゅうり移りたる者にもせよ、今は恩愛きっすて、迷わぬはじめ立帰たちかえる珠運にさまたげなす妖怪ようかい、いでいで仏師が腕のさえ、恋も未練も段々きだきだ切捨きりすてくれんと突立つったちて、右の手高く振上ふりあげなたには鉄をも砕くべきが気高くやさしきなさけあふるるばかりたたゆる姿、さても水々として柔かそうな裸身はだかみらば熱血もほとばしりなんを、どうまあ邪見に鬼々おにおにしくやいばむごくあてらるべき、うらみにくみも火上の氷、思わず珠運はなた取落とりおとして、恋の叶わずおもいの切れぬを流石さすが男の男泣き、一声のんで身をもがき、其儘そのままドウとす途端、ガタリと何かの倒るゝ音して天よりいでしか地よりわきしか、玉のかいなは温く我頸筋くびすじにからまりて、雲のびんの毛におやかにほほなでるをハット驚き、せわしく見れば、ありし昔に其儘そのままの。お辰かと珠運もだきしめてひたいに唇。彫像が動いたのやら、女が来たのやら、とわつたなく語らば遅し。げんまたげん摩訶不思議まかふしぎ

最後の章「団円 諸方実相」で、露伴は一大ドンデン返しを用意しているのだが、その内容については読者のお楽しみのために伏せておこう。いかがだろうか? 文章がどこまでも、どこまでも、切れずに続いていく露伴節が次第に心地よくなってこないだろうか? なかなか口語体でこうはいかない。

 さて、最初の「風流仏」とはいったいどういう意味かという問いに戻ろう。「風流」を広辞苑第七版で引くと、①前代の遺風、聖人が後世に残し伝えたよい流儀、②みやびやかなこと、俗でないこと、風雅、③美しく飾ること。意匠をこらすこと、④衣服や車の上などに花などを飾ったもの、華美な作り物、とある。「風流仏」という言葉を使っているのは表題を除くと四カ所。最初はお辰の像を掘り終わったところで、「幻翳げんえい空華くうげ解脱げだつして深入じんにゅう無際むさい成就じょうじゅ一切いっさい荘厳しょうごん端麗あり難き実相美妙みみょうの風流仏」と書かれている。岩波書店の新日本古典文学大系の幸田露伴集の脚注によれば、「幻翳空華解脱して」はまぼろし・実在しないものから心を解き放ち、「深入無際成就一切」は深く、果てのない境地に入り、すべてを成し遂げて、「実相美妙の風流仏」は何の代用でもない、それそのものが真実の姿であるところの風流仏の意味である。つまり、珠連が彫り上げたのは、お辰の幻から解き放たれて無限の境地に入って成し遂げられた、荘厳・端麗な容姿を持つ、ありがたい真実の風流仏だというのである。「荘厳端麗」とあることから、広辞苑の②③④の意味が当たっているように思う。だが、露伴はこの「風流」という言葉をずいぶん好んだ。「風流仏」の後も、「艶魔伝(風流魔・風流艶魔伝)」「風流悟」「風流微塵蔵」などの作品が続いている。露伴にとって「風流」とは何だったのか? これについては改めて考察することにしよう。

 

  • 筆者
    office-labyrinth
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