(九)万葉時代の遊女
万葉集に「ハル」を探す旅を続けているが、まだ「ハル」を見出せないでいる。もうあきらめようかと考え始めたところで、もっと性的なキーワードで探してみたらいいのではないかと思いついた。
「春」という言葉の定義の中に「春を売る」「春をひさぐ」という「売春」を意味するものがある。だから、「遊女」=「娼婦」を調べれば「ハル」に関する情報が得られるはずだと考えたのである。
問題は万葉時代に遊女がいたかである。すこし調べると、「遊行女婦(うかれめ」というのが出てきた。これが遊女の原型なのだろうか? 広辞苑で「うかれめ」を引くと、
管弦・歌舞をなし、また色を売る女。遊女。
とある。また、「遊行女婦」は
定まった夫も家もなく、うかれ歩く女。遊女。うかれめ。万葉集(6)「―有り。その字を児島と曰ふ
となっている。これで間違いないだろう。万葉時代に遊女は存在し、「遊行女婦(うかれめ」」と呼ばれていたのだ。
万葉集から「遊行女婦」を含む部分を調べて見る。最初は巻六のつぎの箇所だ。
冬十二月、太宰帥大伴の卿の京に上りたまふ時、娘子がよめる歌二首
九六五
凡ならばかもかもせむを畏みと
振りたき袖を忍ひてあるかも
九六六
大和道は雲隠れたりしかれども
吾が振る袖を無礼しと思ふな
右、太宰帥大伴の卿の大納言に兼任され、京に向らむとして上道したまふ。此の日水城に馬駐め、府家を顧み望む。時に卿を送る府吏の中に遊行女婦あり。其の字を兒島と曰ふ。是に娘子、此の別れ易きを傷み、彼の会ひ難きを嘆き、涕を拭ひて自ら袖を振る歌を吟ふ。
大納言大伴の卿の和へたまへる歌二首
九六七
大和道の吉備の兒島を過ぎて行かば
筑紫の子島思ほえむかも
九六八
大夫と思へる吾や水茎の
水城の上に涙拭はむ
太宰府長官であった大伴家持の父である大伴旅人が、大納言に任ぜられたので京に戻る際の一コマである。送る人々の中に児島という名の「うかれめ」がいて、二首の歌を詠んだとある。
最初の歌は「普通のお方ならばあれもこれもとしたいところですが、お偉いお方なので、恐れ多くて、袖を振るのをガマンしています」、二つ目は「大和への道は遠く、お姿が雲に隠れたところで袖を振ってしまいましたが、無礼と思わないでください」というものだ。これに対する大伴旅人の答えは、「大和への道すがら吉備の児島を過ぎるとき、筑紫の児島のことが想いだされるであろう」「俺は堂々たる男子と思っていたがそうでもないな、水城の上で涙を流しているのだから」というもの。
これはちょっと変だ。児島の歌を誰かが大伴旅人に伝えたのだろうか? それを聞いて旅人が後の二首を詠んだのだろうか?
多分そうではない。これは宴席で作られた歌なのだ。大伴旅人の送別会にいた児島娘子が歌を詠み、それに大伴旅人が答えたのを記録したものではないかと思われる。相聞歌ではこの様なケースが多数出てくる。つまり歌会や宴会などでゲームとして作った歌なのである。
さて児島が贈った別な歌が巻三にも出てくる。
筑紫娘子が行旅に贈れる歌一首 娘子、字ヲ兒島ト曰フ
三八一
家思ふと心進むな風伺
好くして行せ荒きその路
【訳】家のことを思うと心がはやるでしょうが、急いではなりませんよ。風の状態を見て、良い時に出発してくださいね。海路は荒れますから。
次回は他の「うかれめ」の歌を探る。