アレクサンドロス戦記(二七)第一章⑬
(四) ニコ
(アンフィポリス BC三三四年春)
「蛸はいらんかえ」
「おい、兄さん、おいしいウナギはどうだい?」
「炭はいらねえか。安くしとくぜ」
アゴラに軒を並べた露天商が声を張り上げて客引きをしている。客が商品の品定めをし、値段を交渉する。そして、買った品を次々と奴隷の持つ袋に入れていく。
アゴラは人で溢れていた。ここでは食料、燃料、その他の日用品ばかりでなく、家具、装身具、牛や馬など売れるものならなんでも揃っていた。
その中には奴隷市もあって、奴隷商人が奴隷を一列に並べて客に声を掛ける。客たちは奴隷の体格や栄養状態を調べ、喧喧諤諤で価格交渉を行っている。中には奴隷つきで牛を売ろうという者もある。牛の方に値付けがされて、奴隷はあくまでもサービス品だ。
ニコはアゴラの人混みの中を歩いていた。
ネアルコスはニコをアンフィポリスに住む母に預けて、ペラに戻った。彼は連れてきた子供がテーバイ出身であるとは一言も喋らなかったし、母親もその子がどういう子なのか一切聞かなかった。ここまで半年余り、ネアルコスの母はまるで自分の子供のように深い愛情を持ってニコに接した。アンフィポリスに来た最初のうちは、ニコは町に出るなどとても考えられず、家に閉じこもっていたのだが、次第に心の傷も癒え、最近はアゴラへ出て買い物を手伝うようになっている。
今日もニコは奴隷を連れてアゴラに出た。露天が軒を並べる通りを過ぎると、広場に人だかりがしていた。なんだろうとニコが人垣の中へ進む。大道芸人が技を披露していた。
奇妙きてれつな服を着て、顔を青く塗りたくった男が剣を取って、ビュンビュンと振り回すと、上に向けて口を大きく開けた。そして手に持った剣の先をその中に差し込み、ゆっくりと飲み込んでいく。ニコは鋭い刃で喉や胃袋が切り裂かれてしまうのではないかとハラハラしたが、剣をペロリと全部飲み込むと、今度はそれをゆっくりと吐き出し始めた。銀色に輝く刃がどんどんと口の中から現れた。全部出し終わって、男は恭しく礼をする。割れんばかりの拍手が起こった。
次に登場したのは片目の男で、左手に革袋、右手に松明を持っている。素早く袋に口を当てたかと思うと、松明に向かって息をプッと吐き出した。大きな炎が上がった。火吹き男である。火柱が群衆の方にのびて、客が慌てて後ずさりする。男が竜のように何回も火を吐き続けると、その度に喝采が起こった。
大道芸人たちは芸を演じ終えて、金を集め始めた。とたんに観客がまばらになる。ニコも再び市の方へ歩き始めた。そのとき、後ろからニコの袖が引かれた。
「ニコ……ニコ……」
小さな声が聞こえた。声の方を振り返ると。一人の少女が立っていた。一杯に膨らんだ重そうな革袋を肩から提げている様子からみると、明らかに奴隷だった。ニコはハッとした。それが誰か分かったからだ。
「ね、ねーちゃん」
少女は口元に指を当てて、声を出すなと合図し、ついてこいと言うように手を振った。そして、くるりと向きを変えて足早に歩いて行く。ニコは慌てて、一緒に来た奴隷にここで待っているように言い置くと、その後を追った。