アレクサンドロス戦記(八三) 第三章㉔
バルシネはけだるい快感の中で目を覚ました。もうすっかり日が傾いている。長い間、食事も取らないで、ひたすら互いの身体を貪りあっていたのだ。
何度、昇り詰めたのだろう。何度、彼の生命のほとばしりを受け止めただろう。
二人はありとあらゆる体位で繋がり、しっかりと抱き合った。そして、体力を使い果たして眠りこけた。
身体の上に布が掛けられていた。
隣を見ると、夫がいなくなっていた。
バルシネは夫を探した。机の前に夫の背中があった。どうやら書き物しているらしい。
バルシネが起きたことに気づいた夫が振り返った。すっかり元気な顔になっていた。
「おはよう! よく眠っていたね」
優しい声だった。もはや私を避けている様子はないとバルシネは安堵した。
「あなた、何をしているの?」
「手紙を書いている」
「何のお手紙?」
「お父上のところまで、お前を安全に護送して欲しいという依頼状だ」
「私をお父様のところへ護送する?」
バルシネは何のことか分からなかった。
「そうだ。お前は息子と一緒に、しばらくの間スサの父上の所にいろ」
「私とヘクトル? では、あなたは?」
「俺には仕事がある。マケドニア軍と戦わなきゃいけない。俺はこれから直ぐ、船でイオニアに移動し、ペルシャ海軍本隊と合流する。侵攻してくるマケドニア軍を迎え撃つのだ」
「では、私たちもイオニアに行きます」
「駄目だ、イオニアは危ない。ここもすぐに手が回るだろうから、あまりぐずぐずできない。明日の交易船に乗ってキリキアまで行け。そこから、陸路スサへ向かうのだ。これを船長に渡せばよい」
夫は手紙をバルシネに手渡した。
「これに船長への報酬のことが書いてある。喜んでお前達を運んでくれるだろう。キリキアからスサまではペルシャ軍に依頼しておく。差配は執事のジャハーンに任せてある。身の回りの世話にマリア、荷物運びにガンボを連れていけ。速く動けるように供は少人数に絞ってある」
「スサにはいつまでいればいいのですか?」
「分からない。マケドニアとの戦い次第だ。一年くらいは覚悟しないといけないだろう」
「そんなに長く!」
「大丈夫だ。時々、手紙を入れる。息子を頼む。父上によろしく伝えてくれ」
「あなた、無理をしないで下さいね。お疲れなのですから、今晩くらい家でゆっくり休まれたらよろしいのに」
「いや、一刻を争う事態なのだ。アレクサンドロスがいつ攻めてくるか分からない。早く行って準備をせねば」
夫は慌ただしく身支度をし、バルシネと息子のヘクトルを残して家を出てしまった。あまりにも短い帰還であった。だが、バルシネにとってそれは、ずっと不仲だった夫と始めて愛を交わした煌めきのひとときだったのである。
バルシネは回想から我に帰った。太陽が動いているから、だいぶ時間が経過したようだ。だが、島の位置は前と全く変わっていない。船が動いていないのだ。島の回りを白い鳥が飛んでいた。
私も羽根があればあの人の所に飛んでいくのに!
バルシネは鳥たちがうらやましくなった。
その時、バルシネの髪が揺れた。頬に空気が当たる。
風?
風が吹いている。みるみるうちに帆が膨らんできた。
「風だ! やっと船が動くぞ!」
甲板で声がした。水夫達が帆を操作する。ギギッと音を立てて船が傾く。そして、波を切って走り出した。
あの人は今、どの島にいるのだろうか?
大小様々な島影をバルシネは眼で追った。そのどこかにメムノンがいる。迫り来る敵を迎え撃つ準備をしているのだ。
また、あの人に会えるのだろうか?
また、ここに戻って来られるのだろうか?
バルシネの心の中は不安で一杯だった。
バルシネを乗せた船はキリキアに向けて速度を上げた。