アレクサンドロス戦記(八二) 第三章㉓

夫とのセックスの記憶が呼び起こされた。彼の言う通り、確かにそれは子供を作る時期と、戦いの後や何か気に食わない事が夫に起こった時に限られていた。つまり、私は子供を産ませるためと、性欲を処理するための単なる道具だったということだ。
バルシネは身体から力が失われていくのが分かった。
それなのに――私は愛を求めていた。愛を得ようと彼を誘った。メントルに教えられた様に、彼の前でお尻を振った。

ああ、なんと言うこと! みんな逆効果だったのだ。
「俺はお前が悪いとは言ってはいない。お前は兄に嫁いで、兄好みの女になるように躾けられた。お前は無垢な乙女だったから、兄を信じて、教えられるまま忠実に実行した。それだけだ、ただ俺が兄が創り上げた女を抱く気にならなかっただけだよ」
バルシネはもう我慢できなくなって起き上がった。眼から止めどなく涙が溢れてくる。
「酷い、酷い、酷いわ!」
バルシネは夫の胸の中に飛び込んだ。分厚い胸を拳でドンドン叩きながら、大声で叫び続けた。
「じゃあ、どうして、どうして私と結婚したの! イヤなら止めることもできたのに! 酷い! 酷い! 私は、私は、どうしてよいか分からなかった。ずっと苦しんでいたのよ。あなたから愛されたかった。愛してもらいかった! どうして、どうして結婚なんかしたのよ! こんな事なら、私を放っておいて欲しかった!」
「それは……」
まるで独り言の様に小さな声で夫がボソリと言った。
「お前がとても好きだったからだ」

「えっ?」と、思わずバルシネは聞き直していた。それが余りにも予期しない答えだったから。

「兄の手垢がついた女だと分かっていた。兄の臭いが染みついているだろうと思っていた。だが――俺はお前と一緒になりたかった。マケドニアで一緒だった時から、お前はずっと俺の頭の中にいた。
あの頃、お前は無垢な少女だった。頭の中にお前の姿が焼き付いている。木漏れ日の中にお前が佇み、こちらを見て白い歯を見せながら笑っている。春の風が髪をなびかせる。衣が揺れて、裾が捲り上がり白い脚が見える。お前は走り出す。丘の上に走り昇って、俺に向かって手を振る。そして、ニッコリと花のような笑顔を向ける。
俺はお前が好きだった。ずっと好きだったのだ。
だが、マケドニアから戻った後、お前は兄と結婚した。俺はお前を忘れようと努めた。月日が経ってようやくお前の事を忘れることができたと思った。だが、実際には忘れてはいなかったのだ。お前の事がいつも心の中にあった。俺はずっと独り身で通した。そして、兄が亡くなり、お前との縁談話が持ち上がった時、俺は喜びの余り舞い上がったのだ。
だが、すぐに俺は迷い始めた。兄のところに嫁いだお前と結婚してよいものか。俺は兄が嫌いだった。むしろ、兄を憎んでいた。兄は俺からいろんなものを奪っていった。両親からの愛、人々の信頼、すべて兄が独り占めした。そして、好きだったお前をも俺から奪っていったのだ。
お前を兄から取り返すことができるか心配だった。お前が俺を愛してくれるか不安だった。だが、愛してくれなくてもよいと思った。いつも俺の側にいて、一緒に語らい、そしてあの可憐な笑みを見せてくれるだけで幸せだと思ったのだ。そう思って俺は結婚を決意した。だが、すぐに失望した。やはり、お前は兄のお下がりだったのだ。お前はすっかり変わってしまっていた。俺はそれに耐えられなくなっていた」

バルシネは胸の中に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。

知らなかった! 夫は私を愛していたのだ。私も夫から愛される事を求めていた。結局、お互いに愛し合っていたのだ。それなのに、皮肉にも二人の愛は行き違った。そして、決して交わる事がなかった。
メントルの臭いを消し去って、元の無垢な私に戻れるだろうか? バルシネは自問した。
無理だ! 私の身体はすっかり開発されてしまっている。もはや元へは戻らない。
でも、身体は元へは戻らなくても、心を通わせる事は出来ないだろうか? 二人の心を一つに融け合わせる事はできないだろうか?
「あなた……私を抱いて」
バルシネは夫の胸に顔を埋めた。
「もう昔の身体には戻れないけど、あなたと一つになりたい。ね、私の身体にあなたの印をつけて……お願い……」
夫の腕が背中に回るのが分かった。そして、その腕に力が入る。苦しいほどしっかりと抱きしめられた。
「バルシネ……」
耳に熱い息がかかる。
床の上に押し倒された。バルシネは夫とともに光の中でもつれあった。
バルシネが脚を開く。固いものがその中心に当たり、次の瞬間には、奥深くまで刺し貫かれた。バルシネは夫の背中にしがみついた。

使用人達は自分の仕事に戻っていた。もはや面白い出し物は終了したのだ。結局、取るに足らない夫婦の痴話喧嘩だと皆、興味を失った。ただ一人、仕事を放りだして庭蔭から二人の痴態をずっと見つめていた男がいた。ガンボである。彼の拳は固く握りしめられていた。そして、彼の眼は怒りに燃えていた。

彼の女神があられもない声を上げていた。

  • 筆者
    office-labyrinth
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