アレクサンドロス戦記(十六)第一章②

日が落ちて、ずいぶんと寒くなってきた。放っておくと、アレクサンドロスは夜明けまでずっとこのまま、地平線の彼方を見つめているかもしれなかった。

ヘファイスティオンは早く部屋に戻りたくなった。
「わかったよ。だが、もう暮れてきたぞ。俺は寒くなった。先に部屋に戻る」
顔も識別ができない暗さになっても、まだ遠くの方を眺め続けている王にそう告げると、灯りが点されたばかりの部屋へ戻った。後からアレクサンドロスが名残惜しそうな顔つきで部屋に入り、扉を閉めた。

ゆらゆらと炎がゆらめく部屋の中で、二人は横たわりながら赤葡萄酒を飲んだ。
「戦の準備はたいぶととのったのか?」
ヘファイスティオンが聞いた。近々行われるだろう東征にヘファイスティオンも兵を率いて参加することなっている。
「ああ……だいぶね。準備は順調に進んでいる。ヘレスポントスでパルメニオンの軍と合流し、アナトリアに渡ってペルシアを攻める」
アレクサンドロスの顔が炎で揺れている。
「パルメニオンからの手紙によると、渡海のチャンスだ。エジプトで反乱が起こっていて、ペルシアはその収拾に大わらわだそうだ」
パルメニオンはアレクサンドロスの父、フィリポッス二世の代からの古参の将軍で先発隊としてアナトリアに侵攻していた。先王の死後、アレクサンドロスに忠誠を誓い、現在も先遣隊の指揮を執っている。
「アテナイは?」
ヘファイスティオンはグッと赤葡萄酒を飲み干す。空になったグラスにアレクサンドロスが並々と酒を注ぐ。
「もちろん参戦するさ。三段櫂船を送ってくる手はずになっている」
「マケドニアは海軍がないからな」
「まず軍港がない。だから船が作れないし、海軍が育たない。だが、木材は豊富だ。マケドニアが木材の供給を止めると、とたんに山林のないアテナイは船を作れなくなる」
「持ちつ持たれつということか……」
「そうだ。アテナイは船を使って、エーゲ海を我が庭の様に通商を行ってきた。だが、今はペルシアに制海権を握られてしまっている……」
「だから、ペルシアとの戦に参戦するのか、だが、ペルシア海軍は強いと聞く……」
「そのとおりさ、さすがのアテナイでも苦戦するだろう」
アレクサンドロスも葡萄酒を飲み干した。頬の辺りがほんのりと赤くなっている。
「それでも、アテナイ海軍は我々にとってこの上ない力となる」
「誰が工作したんだ?」
ヘファイスティオンが聞く。
「アンティパトロスと、それからネアルコスだ」
アンティパトロスはパルメニオンと並ぶ古参の将軍である。軍を中心に力を持つパルメニオンと、ギリシャ諸国の利害を調整してマケドニアの国力増強のために内政を中心に働いてきたアンティパトロス。この二人のマケドニアを担う将軍が、アレクサンドロス側についたことで、アレクサンドロスの王位継承が実現したのだった。
そのアンティパトロスがアテナイの参戦に腐心したという。それに、ネアルコス……。
「奴はギリシャ人だったな」
ヘファイスティオンが聞いた。
「正確にはクレタ人だ。クレタ人は航海の達人だ。彼はアテナイ海軍にも知り合いが多い。役に立つ男だ」
「……なるほど」
「だが、今回は君が来てくれるのが一番、心強い」
アレクサンドロスはヘファイスティオンの眼を見た。だいぶ、酒が回っている。

  • 筆者
    office-labyrinth
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