アレクサンドロス戦記(四七)第二章⑩

「この少女は私が連れていく。お前は少女がいなくなった事をロクリスには黙っているのだ」
「な、なりません。そ、そんな事をすれば、神が……」
「神がどうするのだ。すべての責任はこのアレクサンドロスにあるのだ。お前にはなんの科もない」
神官はアレクサンドロスを見つめた。この男、正気なのかという思いが頭の中を駆け巡った。
「では、私がこの娘をもらい受けるぞ!」
「そ、それはなりません! ああ、止めて下さい」
神官は大声を出した。少女が兵士の腕の中でもがき、甲高い声で叫ぶ。
「いやっ、外に出れば私は殺されてしまう! いやよ、いやよ、ここから出るなんて、いやっ! 私はまだ死にたくないわ!」
アレクサンドロスの合図で、兵が少女の鳩尾に当て身をあてる。ぐったりとなった少女は軽々と担ぎあげられた。その時、神殿の中にプトレマイオスが率いる武装した多数のマケドニア兵が乱入してきた。皆、槌や大槌を持っている。
「神官、外に出ているがよい。私の兵がこの神殿を破壊するから、中にいると怪我をするぞ。この薄汚れた神殿は跡形もなくなるだろう。アキレスの楯ももらっておく、だが心配するな。もっと立派な神殿をここに新たに建ててやる。私が神殿を建て直すのだ。パリスの竪琴は残しておいてやるから、そこに飾ればいい。それから、私の武具もここにおいていこう。新しい神殿ができたら、この武具をアレクサンドロスだと思ってあがめ奉ればいいぞ!」
そう言うとアレクサンドロスの一行は姿を消した。かわりに神殿内はマケドニア兵で溢れていった。彼らは、持っている槌で神殿の至るところを壊しはじめた。大きな丸太が神殿の壁に穴を開ける。粉塵が辺りに舞った。
「さあ、外に出たほうがいいぞ、ここにいると作業の邪魔だ」
神官は外に追い出されてしまった。呆然として海の方を見ると、アレクサンドロスの姿が小さくかすんで見えた。

「おい、いい加減に種明かしをしてくれよ」
ヘファイスティオンがアレクサンドロスを追いかけながら、声をかける。
「種明かしもなにも全て明らかではないか?」
「何が明らかなもんか! どうして、あのロクリスの娘を連れて行かなければならない。それにどうしてあの神殿を破壊するのだ。そして、なぜそれを建て替えるのだ。もう、何がなんだか分からない!」
「簡単なことだ、ヘファイスティオン。私はあの神殿の『あるもの』を手に入れたかっただけだ」
「あるもの? アキレスの楯か……それなら無理矢理に奪い取ればよいではないか?」
「アキレスの楯ではない」
「えっ?」
「さっき、あのアテナの祭壇の隠し戸から地下を覗いたろう」
「ああ、そこからあの娘が出てきた」
「あの娘はそこに隠れていた。だが、あそこには結構大きな空間があったのだ。灯りもあった。それで娘が見えた」
「空間?」
「そうだ。あそこは日が差さず、あの戸口を人の眼から隠そうとしていた。ロクリスの娘の存在はトロイの村では自明の事だろう。あの神殿に行けば娘がいるのは皆知っている。なにせ、千年も続いているのだからね……。それなのに、なぜ、祭壇の戸口を隠そうとする? 少女の隠れ家としてはとても変じゃないか?」
「ああ、確かに変だ……」
「つまりあの地下には、もっと別の、人の眼に触れさせたくないものがあるのさ」
「触れさせたくないもの?」
「そうだ。宝物だよ」
「それなら、パリスの竪琴やアキレスの楯があるじゃないか」
「馬鹿だな、そんなものは高く売れるかい。もっと誰でも欲しがるものが、あそこに隠れているんだ」
「金銀宝石か!」
「その通り、君が最初に言ったことは正しかったのだ。あそこにはトロイの財宝が眠っていた。神官が言っただろう。城は無くなっても、神殿はなくならない事情があると……」
「そ、それはロクリスの娘のことかと思っていた」
「そのようにみせかけてきたのだ。だが、本当のところは、あそこはトロイの宝物庫なのだ。私はその宝物を手に入れようと思った。それには、あの祭壇が邪魔だ。それに娘が邪魔だ。だから……」
「あの娘を奪ったのか!」
「その通り、あの娘がいなくなれば、神殿を維持する口実がなくなるから、容易に破壊作業が開始出来る。それもただ破壊するのではない、建て直すために破壊するのだ。
私はプトレマイオスに浜辺に待機している工兵をこちらによこすように頼んだ。もう今頃は祭壇が取り除かれ、地下の財宝が運び出されている頃だよ。神殿の再建はゆっくりでいい。まあ、財宝は遠征軍の資金として使わせてもらうさ」
「事情が呑み込めたよ。まあ、君は、なんと怖しい男なんだろう!」
ヘファイスティオンが肩をすくめた。
「もうひとつ付け加えると、神殿が出来上がれば、アレクサンドロスが再建したという事実が残る。それに私の武具が置かれるから、永きにわたってアレクサンドロスの偉業が歴史に残るだろう」
「いやはや、君には恐れ入った」
「それにしても、ヘファイスティオン、あのアキレスの楯はほんものだぜ。私はあれを手放しはしないさ」
アレクサンドロスはそう言うと、後ろを振り返ってカリステネスに声をかけた。
「おい、さっきの出来事は書かないでくれ。パリスの竪琴や楯の事は書いてもいいがね。それから……」
アレクサンドロスはとうとうと流れる大河を眺めて言った。
「『スカマンドロス河があまりに小さいので一またぎにした』とでも書いておいてくれよ」

  • 筆者
    office-labyrinth
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