(十七)二葉亭四迷「浮雲」

明治二〇年に発表された小説として、次に取り上げるのは二葉亭四迷の「浮雲」である。言文一致体で書かれているのは前回の山田美妙と同じだが、こちらは近代小説の始まりとなる作品として高く評価されている。
三編からなり、第一編は明治二〇年に、第二篇は明治二一年に金港堂から刊行され、第三篇は明治二二年に雑誌「都の花」に連載された。第三編の終わりには「終」と明記されているが、明らかに話がぷっつり切れてしまっている。

主人公は内海文三。役所で事務官として働いていたのだが、突然、罷免されてしまったところから話が始まる。文三は堅物で、何事にもかけても融通が利かない。いろいろと思い悩む文三と、その真逆で世渡り上手な友人の本田昇、下宿先の義理の叔母のお政、そしてその娘のお勢との間で起こる出来事を描いている。
話の軸は二つあって、一つは文三の失職問題、もう一つはお勢との色恋だが、どちらも文三がひたすら思い悩むばかりではっきりとしない。友人の本田は課長におべっかを使うばかりか、課長の娘に英語を教えるまでして取り入り、罷免されるどころか昇給までしている。そんな本田を忌み嫌っている文三だが、交友関係が完全に切れている訳でもない。叔母のお政は娘と内海との結婚をほのめかしていたのだが、文三の罷免が分かると掌を返した様に冷たくなる。そこへ足繁くやってくる本田、お政は本田との接近を図る。分からないのはお勢で、態度がコロコロと変わって内海は翻弄されるばかりである。お勢は本田と仲良くなり始めている。
さて、お勢であるが、最初の方で次の様に説明されている。

固より根がお茶ッぴいゆえ、その風には染り易いか、たちまちの中に見違えるほど容子ようすが変り、何時しか隣家の娘とは疎々うとうとしくなッた。その後英学を初めてからは、悪足掻わるあがきもまた一段で、襦袢じゅばんがシャツになれば唐人髷とうじんわげも束髪に化け、ハンケチで咽喉のどめ、鬱陶うっとうしいをこらえて眼鏡を掛け、ひとりよがりの人笑わせ、天晴あっぱれ一個のキャッキャとなり済ました。

英語も理屈もこねくりまわし、時代の最先端をいくハイカラ・ギャルなのだ。内海はお勢に気がある。一度は結婚をほのめかされたから尚更で、ついつい意識してしまう。一方のお勢は自由奔放だ。そんな場面をひとつ引用してみょう。

 今年の仲の夏、或一、文三が散歩より帰ッて見れば、叔母のお政は夕暮より所用あッて出たままだ帰宅せず、下女のおなべも入湯にでも参ッたものか、これも留守、ただお勢の子舎へや而已のみ光明あかりしている。文三はじめは何心なく二階の梯子段はしごだんを二段三段あがッたが、不図立止まり、何かしきりに考えながら、一段降りてまた立止まり、また考えてまた降りる……にわかに気を取直して、まさに再び二階へ登らんとする時、たちまちお勢の子舎のうちに声がして、
誰方どなた
トいう。
わたくし
ト返答をして文三は肩をすくめる。
「オヤ誰方かと思ッたら文さん……さみしくッてならないからちっとおはなしにいらッしゃいな」
「エ多謝ありがとう、だがもうちっのちにしましょう」
「何か御用が有るの」
「イヤ何も用はないが……」
「それじゃアいいじゃア有りませんか、ネーいらッしゃいヨ」
文三はすこ躊躇ためらって梯子段を降果てお勢の子舎の入口まで参りは参ッたが、うちへとては立入らず、唯鵠立たたずんでいる。
「お這入はいんなさいな」
「エ、エー……」
ト言ッたまま文三は鵠立たたずんでモジモジしている、何か這入りたくもあり這入りたくもなしといった様な容子ようす
何故なぜ貴君あなた、今夜に限ッてそう遠慮なさるの」
「デモ貴嬢あなたお一人ッきりじゃア……なんだか……」
「オヤマア貴君にも似合わない……アノ何時いつか、気が弱くッちゃア主義の実行は到底覚束ないとおっしゃッたのは何人どなただッけ」
※(「虫+秦」、第4水準2-87-73)しんの首をななめしげて嫣然えんぜん片頬かたほに含んだお勢の微笑にられて、文三は部屋へ這入り込み坐に着きながら、
「そう言われちゃア一言もないが、しかし……」

 現代の小説に近い書き振りなので、今読んでも意味がとれる。それまでの戯作とは全く違って、リアルな描写である。確かにこの作品が革新的ともてはやされた理由がわかる。だが、小説として面白いかというとそうでもない。少なくとも僕はあまり面白いと感じなかった。第二編の団子坂の菊見のあたりまではまだ読め、どのような展開となるかと期待したが、その後、文三がひたすら悩み、独白が多くなってくると持て余し気味になった。

結局、たいした事件は起こらない。リアリズムかもしれないが、事件が起こらないから面白くない。時代が違うから、登場人物にもう一つ共感できない。お勢のコロコロと変化する行動も理解できない。第三編ではお勢ががらりと変化するのだが、結局、変化の理由も説明されないまま話が終わってしまう。これは文体を含めての実験小説で、四迷はプロットを十分考えずに書き始めたのだが、ついには破綻してしまったというところではないだろうか? 

二葉亭四迷は「浮雲」の執筆を投げ出して以降、二度と小説を書くことはなかった。

 

  • 筆者
    office-labyrinth
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