私のやさしい調教師②
調教とは、文字通り「調べ」を教えることだ。
調べを整えるのが「調整」、調べを合わせて一つにするのが「調和」、調べを正しく律するのが「調律」、そして、調べを教え込むのが「調教」だ。
女の身体に「調べ」を徹底的に教え込む。
「調べ」とはなにか?
責め手が意図する反応を引き起こすことである。
責めればそれに応じて啼き、悶え狂って男を誘う。自己を捨て去って、すべて主人の言いなりとなり、隷従する事自体に悦びを感じる。責め苛まれることのみが生きがいとなる。
そのような心と身体に、いかに速く女を作り替えることができるか――それが調教師の腕であった。
だから、若いときにやっていた様に、女を強く縛るだけではだめなのである。一方で責めが弱すぎても調教にはならない。
調教は決して遊びではない。だから緩い責めでは調教にはならない。
女が苦痛のあまりに泣き喚くまで責め続け、さらに限界を超えさせるのだ。痛い、苦しいと女は泣き叫ぶが、そういう言葉が出るうちははまだ限界ではない。
更にキツイ責めを与え、もう一言も発することができない状態にする。そこまで追い込んではじめて限界が見える。
問題は人によって限界が違うことだ。
女を死なせたり、気を狂わせたりしては話にならない。調教師として失格だ。
女の限界をいち早く知り、それに合わせて、ギリギリのところまで責め、限界を乗り越えさせる。
人間とは不思議なもので、激しい責めにも次第に順応するようになる。
以前は堪えられなかった責めが、次第に物足りなくなるのである。
調教が進むに連れて、限界レベルはドンドンと上がっていく。それに合わせて、責めを厳しくする。馴れてきたら、さらに責めのレベルを引きあげる。こうして責めに対する耐性が次第にあがっていく。
もうひとつ、これはもっとも重要なことだが……責めると同時に快楽という「報酬」を与えるのだ。
最初のうちは、責めと快楽は一致しない。しかし、責めと快楽を交互に繰り返していくうちに、この二つが頭の中で結びつく。
責められることで快楽を感じるようになるのである。
そして、快楽を得るために責めを懇願するようになる。その瞬間、普通の女がマゾ奴隷に変化するのだ。
調教は責め手と責められる側の真剣勝負であり、また協同作業でもある。
どのように責めるとどう反応するかを読んで、責めを組み立てる。
人によって反応は様々である。ある者にとって快楽の極致であったことが、ある者にとっては死を意味することもある。だから、想定外の事態にも備えて、対処できるようにしておく必要がある。
一方、責め手と受け手の呼吸が合うと、驚くほどの快楽を生みだすこともできるのである。
その瞬間、もうこの世のものとは思えない神々しいまでのエクスタシーが生まれる。
この女がどこまでついてこれるか?
そして、どんな風に変わっていくのか?
竜造は眼の前で恐怖に怯え、震える女に、「待ってろ。すぐに脂汗を流して悶え苦しみ、歓喜にむせび泣く身体に作り替えてやるからな」と心の中で声をかけた。