アレクサンドロス戦記(二五)第一章⑪
「おい、余り手荒なまねはするな」
ネアルコスが男を制した。
「ちょっと、私が話をしてみよう」
ネアルコスはそう言うと少年の側に立った。
「痛いか?」
「こんなもの……それより、はやく自由にしてくれよ」
少年は怒りのこもった目で見返してくる。その目に力があった。
「船に密航したんだから、縛られて当然だろう」
「密航? ……おいら、ただ船倉で休んでいただけだ。別にどこかへ行くために乗ったのじゃあないや」
「無断で乗ったことには変わりは無い。海に放り込まれても仕方がないぞ」
「なら、早く放り込んだらいい!」
「元気な奴だな。放り込むのはいつでも出来る。おまえ、名前は何という?」
「おいらはニコだ」
「奴隷にはみえないが……」
「奴隷なんかじゃないやっ!」
「なら、乞食か?」
ニコは黙ってしまった。自分のことをなんと表現していいか戸惑っている。そのとき腹がググッと音を立てた。
「腹が空いているのか?」
「昨日から何も食っていない……」
ネアルコスが笑った。そして、水夫を呼び寄せて、食べ物を持って来るように言った。
水夫がパンと水を持ってくると、「縄を解いてやれ」と命じた。
「いいんですかい?」
「ああ、縛られていては飯が食えないだろう。それに、海の上では逃げようとしても逃げるところがない」
足を蹴られた水夫は不服そうな顔で少年の縄を解き始めた。手の縄が解けるやいなや、少年は眼の前のパンをひっつかみ、むしゃむしゃと食べ始めた。そして、喉につかえて咽せた。
「そうガツガツするな、時間はたっぷりあるぞ。船が着くまで一日はかかる」
ネアルコスはそう言うと声を上げて笑った。
空腹に一段落がつくと、ネアルコスはニコと名乗る少年の身の上を聞き出した。少年はテーバイから来たと言った。
「だが、テーバイはマケドニア軍の攻撃を受けて壊滅した」
ネアルコスの言葉にニコは顔を伏せた。唇を真一文字に結び、胸の中に湧き起こる痛みを必死で堪えている。
「知っている……」
「お前はテーバイから逃げることができたのか?」
ニコが顔を上げた。目に涙が溜まっていた。
「母ちゃんが襲撃の前においらを町から出したんだ……」
「お前を町から出した?」
「アテナイにいる叔母さんに荷物を届けて欲しいと頼まれた。だから、おいら荷物をもってテーバイを出てアテナイに向かった」
「一人でか?」
「ああ、一人だ。姉ちゃんは家に残った。どうして、母ちゃんがおいらにそんなことを頼むのか分からなかったけど、おいらは母ちゃんの言うとおりにアテナイに行った」
「そうか……それでお前はあの災厄から逃れることができたのか」
「ああ、おいらは叔母さんの家にいた。しばらく経ってから、叔母さんからテーバイが消滅したという事を聞いたんだ。アテナイの町はその話で持ちきりだった。みんな、マケドニア軍がアテナイに攻めてくると言っていた……」
「なるほど……だが、戦争はなかった……だろう」
ニコの目から涙がこぼれて頬を伝った。