アレクサンドロス戦記(五三)第二章⑯

ニコが黙っていると、カレスは話を続けた。
「俺はあのテーバイの戦にもついていったんだ。あれは酷かったぜ。なにせ、あのテーバイが消滅しちまったんだからな」
ニコは驚いて男の顔を見たが、黙っていた。
「男は戦闘でほとんど殺され、残るは老人と女子供だ。その中で売れそうにない者は全て殺されて、捕虜となった者はアゴラに集められて夜を明かしたんだ。朝になると奴隷商人がやってきた。そして全部連れ去った。裸にひん剝かれてよ。手枷をされて縄に繋がれていた。何人も何人も列をなしてトボトボと歩いて行くのよ。あれは可哀想だったな。だが、それより悲惨なのは、奴隷になってからだ」
「ねえ、それはどういう意味?」
ニコの頭に奴隷となった姉の姿が浮かんだ。
「奴隷の運命は悲惨なものだが、どんな奴隷になるかで、相当の差がでるんだ。家事奴隷だと肉体労働をすることには違わねえが、まだ軽いもんだ。俺たちがやってきたパン焼き、粉ひきなんかだからな。酷いのは鉱山奴隷と、ほれ、ヘレスポントスに浮かんでいたガレー船だぜ」
「ガレー船?」
「そうさ、横から一杯、櫂が突き出た船があったろう。あれは奴隷が漕いでいるんだ。三段櫂船の場合は漕ぎ手が上下三段になって漕ぐ。奴隷は漕ぎ座に鎖で繋がれていて、立ち上がることもできねえ。かけ声と木槌の音に合わせて、とにかく漕ぐしかねえんだ。手を休めると鞭で撲たれる。酷いときには傷に塩をすりこまれるんだ。糞や小便も垂れ流しだ。えんえんと櫂を漕ぐだけだ。そのうちに何も考えられなくなる。力尽きて動けなくなったり、気が狂ったりすると、海へ放り込まれて鮫の餌食になる。予備の漕ぎ手もいて、欠員ができたら交替だ。どうだ、辛そうだろう。それに比べればパン焼きなどなんてことはない」
カレスがそこまで言った時、
「さあ、休憩も終わりだ。今度は明日からの行軍用のパンを焼くぞ。みんな配置につけ!」と、ラクリスの大声が聞こえた。
ニコは立ち上がった。
疲れのために足取りが重い。やっとのことで焼き場の前に来ると、
「さあ、熾火作りからやるぜ、坊主」とカレスが声をかけてきた。

  • 筆者
    office-labyrinth
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